昭和56年8月8日 朝の御理解          【 末永信太郎 】

第25節 信心は大きな信心がよい。迷い信心ではいかぬ。一心と定めい。



 大きな信心。私は、もう絶対、大きなおかげが約束されると思う。それには、迷い信心ではいかんと仰せられますから。もう、これなら絶対という、その絶対のものを芯にしての信心でないと、様々な時に迷いが起こって来ると思うんです。もう、30年も前に私が、まっ、今から言うと修行中の。福岡教会に参拝をさせて頂いた時に、神様からお知らせを頂いた。こう、一線上にこう、まあ、ランニングシャツを着た人達が、7~8名でしたでしょうか、並んでおる。その中に私がある。

 ね、百年祭を目指して、日本一を目指してという事を頂いた。これは、もう30年前でした。ですから、私は思うた。とても私が偉い、ね、まあ、もちろんその時分はまだ教会なんとも考えもないですから。ね。日本一の教会になりたいとか、日本一の先生になりたいとかというような事は、とても及びのつかない事でございますから、あの、日本一有り難い私になろうと思うて。

 これなら、もう馬鹿でもちょいでも、その気になりゃなれるんです。ね。頭が悪かっても。日本一有り難い私になろう。そういうような決心を、まあ、させて頂いて30年間。昨日、今度、まるしょう全国大会から帰って参りました先生方が、それぞれ、あちらでの模様を話してくれましたが。まさに、この度のまるしょうは、まあ、合楽教会が日本一と皆が言ってくれるような、まあ、晴れがましいおかげを頂いて来たという事でございました。

 今まで日本一、今まで大変素晴らしかったという教会が、それこそ(えいこせいすい?)は世のならいであって、非常にその貧しいものになっておった。それが、特にこう、目立って来たと、こう言うのです。ね。これは先だって、ある先生が御本部の教庁である調べ物をしておった。ところが、合楽教会という所が、教師が育つという事で日本一という事になっておるそうです。先生方が育つという事で日本一。だから、その、そんなに人が育つ、教師が育つ所の教会っちゃどんな教会じゃろうか。一遍行って見たいと言うて、あの、お参りをして見えた先生がございました。

 そうでしょうね。この頃、壮年会の時のあのパンフレットを見ましても、もちろん他所から修行に来ておる先生方を含めると、67名ですか。はあ、私どもも、それこそ、家の修行生を数えた事もないから分かりませんけれども。確かに、言うならば信者が多いとか。ね、御用が出けるとかという事では、まあだまだ程度の低い所ですけれども。人が育っておるという事においては、日本一だということ。

 もう、その百年祭も、あとわずか数年の後に百年祭が控えております。百年祭を目指して。ね、あらゆる点で、言うならば日本一を願う。大きな信心とは、そういう願いに一歩一歩近づいて行けれる手立てだと思うですね。先だって家の総代さん方に、もう一回り大きくなれと、こう言うた。その一回り一回り、私は大きくなって行く事だと。ただ口だけで、どうぞ日本一とか、世界中とかというような事をですよ、祈り願うという事は出来ますけれども。

 ね、それに向かって一歩一歩近づいて行く。そんなら、ここ30年間の信心を振り返って見て、どういう信心を内容として私どもはして来たかという事であります。今朝、御祈念中に、御心眼に頂きました、その、昨日、まるしょうは日本一のお礼のお届けをさせて頂いておりましたら、あれは誰でしたでしょうかね。富士の三十六計か何かを書いた絵描きがおりましたね、富士さんを。えー、ひろせ、誰だったでしょうか。誰ですか?

 とにかく、あの富士山の絵をいくつも頂いて、一番最後に、もうくっきりと頂いたのは、大きな波がこう。その波の、波の間から見える小さい富士山を、もう実に印象的に頂いたんです。合楽の場合はこれだろうと。それこそ大きい波に、いわば耐えておるのが今の、今日の合楽だろうと。評判が悪い。評判だけの事ではない、まあ、色んな意味でそういう大波をかぶっておるような感じのところですけども、その波間に見える富士山。私は感動しました。

 ね、神様もこういう風に合楽を見ておって下さる。私はどの富士山よりも、あの、構図が素晴らしいと思いますね。こう波の、その波の合間に、向こうの方へ白い富士山が見えておるという、こう絵です。いよいよ持って、言うなら、それこそ大きなどういう波にも物ともしない勢いを持って。ね。いよいよ、日本一という事は、私は世界一に通ずる事だと思うんです。ね。そこで皆さんも、やはり、今日の御理解じゃないけど、大きな願いを持って一輪一輪、一回り一回り大きゅうなって。

 そういう願いに立って、迷いのない、起こらない絶対のものを芯にしての信心。どういう事だと思いますか。先だって、合楽の話を、まっ、あちらでは親先生が神様から色々とお知らせを頂かれて、という話が出た時に、ある御本部の偉い先生が。教祖の神様が、神様からお知らせを頂くのは、教祖御一人という、その事があるじゃないかと。だから、他のモンが頂くのは、それは天地金乃神様じゃないじゃろうという風に言われたと、こう言うんです。

 そうですね、やっぱり、その神徳とか霊徳とかと申します。様々な、やはりあれがあります。そんなら、金光教で、言うなら今日、代をなしたという、その、は、やはり御神徳で神様からお知らせでも頂かれるといったような先生の所で、沢山な人が助かり、沢山の教会が出けたんです。だから、そげな人達は皆間違うとるとたい、まあ、言うた事でございましたけれども。合楽の場合は、いつも天地がバックである。これだけで、合楽のモン、これは間違いないという事を、私は感じなければいけないと思う。

 いつも天地がバックなんだと。ね。しかも、教祖金光大神が教えられた御教えを、ね、いよいよ深く広くして行く事の為の御理解であり、神の永地によって教祖金光大神の信心を、いよいよ絶対のもの。ね。和道十善のもの、前代未聞のもの。ね、開闢以来のものにして行っておるのが合楽理念です。ね、教祖の御教えをいよいよ深める。深める為の、合楽の場合はお知らせなんです。ね。だから、まあ、そういう事を気にする訳ではありませんけれども。ね、合楽で一番間違いのない、私は頂き方というのは、天地がいつもバックであるということ。

 あんまり合楽のまるしょうは派手だから、派手な事をしよると、一遍に潰れてしまうぞと注意、何年か前に注意を受けた。その当時そこが、まあ、日本一と言われとったけども、今年なんかはもう、まあ、落ちぶれ果ててまではいないけれども、昔の面影はない教会であって。なら、合楽はいよいよ、こう華やかにおかげを頂いた。今度は皆、バンドの方達、あの水兵服でね。それが、ちょうど97名、こちらから御用に行った人達を含めると97名の者がおかげを頂いておる。

 ステージでの、もう合楽が演奏した後は、もう客席が立ってしまったというくらいであったそうです。ね。だから、華やかにしろ、盛大にせろという、これは教会長である私が、言うた事も思うた事もない。例えば、そういう華やかではありますけれども、桜の花が一遍に咲いたような(かん)がありますけれども。その内容にはいつも柳の信心があり、梅の信心があるという事です。

 ね、梅の香りを桜に持たせ、しだれ柳に咲かせたい。これは合楽の信心理想です。ね。信心辛抱という梅の花の内容。ね、神様に逆らわない、柳のような素直な心。これが内容であっての桜の花のようなおかげが、今日、合楽に現れておる。しかもそれは、ね、まるしょうだけが大きいのじゃない。あれもこれもが足ろうて育って行っておるという事。迷いの起こらんで済む合楽の生き方は天地日月の心になる事肝要と教祖が仰る。それがいつも芯であることです。ね。

 ですから皆さんのね、信心の要というところがです、今申して参りましたようなところを、それこそ合楽の場合には、あちらがこうじゃから、こうせんならんといったような人情が使われずに、もうそれこそ一人でにものが出けるようにというおかげなのです。まるしょうの事なんかでもそうです。もう、すべてが一人でにものが出けるような。それは、常日頃、私は地が肥やしてあるからだと思うです。

 その地が超える元であるというのは何であったかと言うと、天地日月の心になる事肝要であるという、信心にいよいよ取り組んで来た事なんです。ね。限りなく無条件で与えて与えて止まないという麗しの心、天の心。それこそ黙って、受けて受けて受けぬくという心。それを、言うならば、ね、成り行きを尊び、大切にする、黙って治めるといったような信心で、それを、内容を深めて行っておるのです。いわゆる土の信心なんです。日月の心。これは、言うならば、ね、もう、これだけは一分一理間違いのない、正確な。

 例えば、私が四時の御祈念を奉仕するという事は、もうどんな事があっても、もう一秒だって狂いはないといったような信心は、ここ続けられておるという事なんです。日月の心。ね、そういう限りない美しゅうなろう、限りない黙って治める、言うなら辛抱力を作る。そして、それがいわば確実に的確なおかげが現れて来るのも、ね、合楽で言う信心の節度が守られておるからだという風に思うです。

 そういう信心が内容になっての、今日の合楽なんです。だから、ここを、こうせんならん、ああせんならんじゃない。自ずと一人でに物が出けるようにして、私は繁盛して行っておるのが合楽ですから。(えいこせいすい)、世のならいという、世のならいであるという、それではないと思うのです。ね、その、言うなら合楽理念に基づく信心が出けて行く限りです。天地日月の心になる事、その事に言うなら焦点を置いて日々信心を進めて行くという事がです。

 ね、とりもなおさず、迷わんで済む信心という事になるのじゃないでしょうか。ね。御用すりゃ助かるといったような人もあります。一生懸命御用した、お供えもした、お参りもした。ところが、困った事に、難儀な事になってしもうた。もう、そこに迷いが起こるです。ね、だから、絶対のもの。それは、合楽で言われる、合楽理念に基づくという事ですけども、それをもっと言うと、天地日月の心。その、天地日月の心をいよいよ深めて行く、広めて行こうという信心。ね。

 そういう信心をいよいよ身につけて行きたい。ね、日本一の教会に、日本一の信者を皆さん目指させてもろうて。ね、それこそ名実共にの日本一。ね、それは、世界一と言うても良いでしょう。ね、大きな信心とは、そういう内容のある、そして、願いを絶対のところにおいて、大きな願いを立てて、それに一回りずつでも大きくなって近づいて行こうとする精進以外にないと思うですね。どうぞ。